我が愛しき輝ける影へ(2)

「君は随分と軍備に金をかけているのだな」

──1429年6月。
マラドゥルリーの地に揃った勇壮にして華麗な騎士団を目にして、リッシュモンは思わず感歎の声を上げたものだ。

「人材もまた資産です。
技術と才能は時間をかけてつくられるもの。一朝一夕で最強の軍団を作る事は出来ません。経験を金で買う事は出来ないのですから。
私が彼等の中に宝を見出し、それに正当な対価を支払うからこそ、彼等もまた誇りを持って私の期待に応えてくれる。
人は誇りと共に在る時、決して光を見失う事は無い。
今のフランス軍に最も足りないのは、人としての深い誇りとそれに伴う強い意志です。
我々、上に立つ者は、己を慕ってくれるものに、パンと娯楽ばかりではなく、人としての誇りを与えなければならぬのです」

そんな考え方をする人間に会ったのは──ましてやそれを堂々と自分の前で口にした人物は、彼が初めてだった。
だからこそ魅かれたのだろう。

その聡明さと高潔さに。そしてその理知に内包された優しさと純粋さに。

そう。かつて彼が、今は亡き尊い少女に惹かれたように──

◆◆◆

リッシュモンが、その生涯を通して己の最も深い理解者であり真の友と認める事になる青年──ジル・ド・レイと初めて会話を交わしたのは、オルレアンの戦いを経て息を吹き返したフランス軍が、ランスに向かって破竹の進撃を開始したまさにその最中の出来事だった。
〈奇跡の乙女〉に率いられた王国の主力部隊が、劇的な勝利の興奮冷めやらぬまま、ボージャンシーでの包囲戦を開始したという話を聞きつけたリッシュモンは、彼らと合流すべく独断で兵を招集し、運命の地へと向かった。

当時、王国軍最高司令官の地位にあったものの、政敵であるドゥ・ラ・トレモイユとの対立に敗れ、失意のまま宮廷を追われていた大元帥は、パルトネーの地で日々ままらなぬ運命に歯噛みしながら事の推移を伺っていた。
しかし、今この王国の大事を前に、とうとう黙して見守る事に耐えられなくなったリッシュモンは、たとえ王命に逆らう事になっても、本来在るべき戦場で己の力を尽くす事を望んだのだった。

私財を投じて急ぎ揃えたブルトン人とポワティエ人からなる弓兵800、槍兵400を超える精鋭部隊による進軍──このリッシュモンの動きに、すぐさまトレモイユは王の名の下、武力を用いてでもこれを阻止するよう、ジャンヌをはじめ王国軍の指揮官達に命じた。しかし、王命を遵守しようとしたのは前線の総責任者としての立場があるアランソン公ぐらいのもので、他の軍人達は名将の戦場への帰還を大いに歓迎した。

そして、件の乙女と会い見えるのを心待ちにしながら到着したリッシュモンと彼に忠誠を誓う麾下の兵達を出迎えに現れた軍勢の姿に、大元帥の度肝は抜かれた。

滋養のある餌を与えられ、よく訓練されているのだろう──手入れの行き届いた黒馬に跨った指揮官以下、身を包んでいる揃いの制服は煌びやかでありながらも上品で、一目で分かる見事なまでの仕立ての良さである。槍や剣、具足と言った装備一式、どこをとっても相当な金がかけられているのは明らかで、堂々とした気風はどこの公爵家の親衛隊かと見紛うほどだ。

「助勢、歓迎いたします。リッシュモン伯。
名将の誉れ高い閣下と轡を並べて戦う。我々軍人にとってこれほど心強いものはありません」

一体国庫の逼迫した王家のどこにこんな部隊を率いるだけの余裕があったのか──半ば呆れた表情を見せながら国王の姻戚である伯爵が思ったところで、馬上の指揮官が面頬を外した。

 

「……ああ、君が『あの』レイ男爵か」

明らかになった美貌の持ち主を認めて、リッシュモンは合点した。

ブルターニュ公国からアンジュ公国にかけて広大な領地を持ち、複数の城塞や館をはじめ、抱える莫大な富は王家のそれすら軽く上回ると言う、フランス随一の大資産家。その血筋は英傑デュ・ゲグラン元帥にも繋がるという軍属の名門、モンモランシー=ラヴァル家の現当主である。
アンジュ公家に仕え、国王の義母であるヨランド・ダラゴンの信任も厚い老将軍、ジャン・ド・クランの薫陶を受けた才気溢れる若者の噂は、リッシュモンも何度か耳にしていた。

何かと自分の足を引っ張りたがるドゥ・ラ・トレモイユは彼の叔父にあたり、昨今、軍人としての頭角を現してきているこの見目麗しい甥を、いずれは自らの手駒として、リッシュモンを退かせた後の元帥位に据えるつもりでいるとかいないとか。

ふむ。それにしても──

青年の全身を視線で一撫でした後、リッシュモンは自然と溜息が漏れるのを堪えられなかった。

話には聞いていたが──まさか、ここまでのものとは。

陽光を弾き、しっとりと艶やかに輝く黝い髪。ここまで深い色合いは彼が住まう北フランスでは珍しい。時折光の加減で青みがかって見えるその様は実に神秘的だ。
陽光の下、肩口に零れ落ちる長い髪を抱く白磁のごとき麗貌の中に納まった、大粒の宝石を思わせる碧の瞳。涼しげな視線は今も真っ直ぐにリッシュモンを見つめている。

そんな青年の瞳に映るリッシュモン自身、一度、宮廷に参内すれば、貴婦人達の注目を集めずにはおられない極めて端正な顔立ちの持ち主なのであるが、この全身から匂いたつ、後を引くような影のある「色気」というものに関しては、目の前の青年の足元にも及ばないだろう。

長身ではあるものの、身体の線も細い。少年と青年の極めて微妙な境でその時は留められているようだった。

──成程。女と言えば女、男と言われてもだからどうだという感じではあるな……おかしな気を起こす連中がいるのも理解出来なくはない。

しかしだからと言って、「女々しい」という言葉は不思議と連想されなかった。中性的で優しげな面差しの中にも、秘めたる強靭な精神力が感じ取られるせいだろう。
そうでなければ最前線で戦い続けてはこれまい。代々軍人を輩出している家門の教えは厳しいと聞く。
中身は間違いなく『漢』だ。当然といえば当然だろう。

……そういえば、昔、ラ・イールが、「あの名門を継いだのがこんなお姫様だったとは驚きだ!今日はわざわざ戦場にまで未来の旦那様を探しに来たのかい?可愛い顔して、着いて早々、貞操奪われちまっても知らねーぞ!」などとからかって酷い目にあったと言っていたな……
「あの顔でナニなアレは詐欺だ。忘れたくても忘れられない」と遠い目でブツブツ呟いていた赤毛の巨漢からそれ以上の事の経緯を聴くのは憚られた為、詳細を知る事は出来なかったが、察するにやはり知るべきでなかったのかもしれない。

「──フランスの為、私は私の役目を果しに参った。
私の陛下とフランスに対する忠誠に翻意は無い。
君達が私と同じ気持ちであるのなら、神の御使いであるという件の乙女に会わせてもらえるだろうか」
「無論。喜んで」

内心、百戦錬磨の傭兵隊長に微妙な同情を感じつつも、そこは政治にも明るい智将である。
リッシュモンはあくまでもこの天界の住人然とした使者に年長者らしい威厳を保ったまま、ごく紳士的かつ理性的な応対に徹するのだった。

◆◆◆

「ジャンヌ。
貴女は私と戦うつもりだと聞いた。
私は、貴女が真に神の御使いであるかどうか、知るすべを持たない。
だがもしそれが真実であるのなら、私が貴女を恐れる事は無い。
何故なら、神は私の善意を御存知なのだから。
またもし、貴女が悪魔であるのなら、なおさら、私は貴女を恐れますまい」

後に史書に残る事になるやり取りの後、他の多くの軍属がそうであるように少女の聖性を確信するに至ったリッシュモンは、無事ジャンヌの指揮下にある王国軍の本隊に加わった。

──確かに魅力的な人物だ。

実際に『ロレーヌの乙女』と会話を交わしてみて、リッシュモンもまたどうしようもなく少女に惹かれている自分を認めざるを得なかった。
この少女と使命を果たせるのであれば、たとえ宮廷で笑い者にされ屈辱を味わう事になろうとも、憎らしい奸臣たるトレモイユに頭を下げてさえ良いとすら思えた。
凛とした佇まいの中にも、内に秘めた大きな母性を感じさせる、まさに多くの人々が想像の中で思い描いたであろう『聖女』の姿そのものだ──やや出来すぎている、とさえ思えるが。

オルレアンでの奇跡を彼女と共に経験したものは、今や完全に彼女の信奉者である。
特に彼女の予言によって命を救われたというアランソン公は、何くれと彼女の世話を焼きたがり、荒くれ者の傭兵集団であるラ・イールやザントライユの部隊で剣を振るう猛者共も、ひとたび乙女に微笑まれれば猥談で盛り上がっていた口を閉ざして相好を崩す有様だ。

──やれやれ、我々フランス軍の精神的支柱は、こんなか弱い乙女一人が担わねばならぬのか。

本来、前面に出て軍を鼓舞し彼等を率いるべきである国王シャルルは、トレモイユら穏健派の侍従達に囲まれて身動きが取れぬまま後方に控えたままだ。

小さな背中に人々の期待を一身に背負い、希望への道を切り開こうとしている少女。
いくら見た目から受ける印象よりも遥かに賢く、意志の強い人間であったとしても、彼女を理解し支える者がなければ、そのうち潰れてしまうだろう。
長らく苦汁を舐め続け、瀕死の様相を呈していたフランスにとって、オルレアンでの勝利は薬としてあまりに効きすぎたのだ。
過剰な期待は、ほんの小さな失敗ですら、大いなる悲劇として変じかねない。
あれだけ多くの人に慕われ囲まれているというのに、リッシュモンの目には、どこか聖女の姿は孤独に見えた。

フランスを支える彼女の心を支えるのは、一体何なのだろう。
聖女と共にあるのは、本当に神と天使だけなのだろうか。

出来る事なら、自分がこれからも支えてやりたいものだが──

決して楽観視しきれないフランスと少女の今後に思いを巡らせながら、陣中を歩いていた彼女の姿を目で追っていると、少女を見る目が少々熱を帯び過ぎていたのか、ちょうど通りがかった甥であるアランソン公に訝しげな視線を向けられる。

何だその目は。
心配するな、お前と違って下手をすれば親子ほど年の離れた娘に懸想をするつもりは毛頭ない。

かと言って、あの甥に少女を任せるのも正直リッシュモンとしては不安であった。
軍属の間で人望のあるアランソン公は、将来トレモイユに目を付けられて、自分と同じように宮廷から遠ざけられる可能性が高い。
ラ・イールやザントライユも気のいい連中ではあるが、宮廷での立ち回りは決して得意な面々ではないだろう。

「……やはり君が適任だな」
「は……?」

駐屯中の騎士団が使用している練兵場。
そこへ何の報せもなく、一人ふらりと現れた元帥の姿に驚いた若い男爵に向かってリッシュモンが呟く。

「君はそもそもトレモイユ卿とは身内になるわけだし。祖父君からの繋がりでヨランド王妃も期待をかけているとか。
何より軍属にしては思慮深いし誠実だ。教会受けも悪くない。
個人的にはもう少し賢しくなった方が上手く世の中を渡っていける気もするが……まあそこは経験を積めば嗅覚もつくだろう」
「閣下……一体、何をおっしゃっているのでしょうか……」

ただでさえ、尊敬する先輩軍人による突然の訪問に困惑を隠せずにいる青年に、伯爵は端正な顔に魅力的な笑顔を浮かべながらさらりと言う。

「いやなに。
私が去った後に『ロレーヌの乙女』や軍を任せられるのは君しかいないと思ってな。
ジル・ド・レイ元帥か……なかなか良い響きではないか」
「な……
げ、元帥…… !? 私が !?
何を馬鹿な事をおっしゃっているんですか!冗談にしても意地が悪過ぎますよ、伯爵!」

一瞬、呆気にとられた後、慌てて男爵はありがたくも突拍子もない伯爵の言葉を受け止めきれずに否定したのだった。

 

 

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