還り着く場所(20)

律動的な響きを石壁に刻みながら進んでいた複数の足音が、ブーヴルイユ城の中でも最下層に位置する鉄格子の前で止まる。
数多の命と怨嗟を吸い込んできた陰気なルーアンの城塞の中でもとりわけ濃い瘴気に包まれた常闇の間。

「お疲れのところ申し訳ありませんが、お客様をお連れしましたよ。騎士殿」
「うわー!うわー!すっごい!本当にめちゃくちゃ綺麗だよ!」

己を押し込めた闇の中、近付く気配にゆるりと横たえていた長身を起こし、こちらを見つめる虜囚の貴人の姿を見て、この場には狂気じみて不釣り合いな感嘆の声が上がる。

けぶるように伏せられた長い睫毛の下、松明の光を弾き、神秘的な色合いを見せる瞳から投じられる気だるげな視線。今は清潔ではあるが簡素な形をした修道僧を思わせる衣装の胸元を流れ落ちる白銀の髪。最低の環境の中で、強要される〈客人との晩餐〉の為、身繕いだけは真っ当に整えられた中性的な青年の姿は、この場の雰囲気との落差もあり、幻めいて美しかった。

「……今夜の客はそこの少年か?それともお前達全員か?」

表情一つ変えず呟く牢の主に、端正な顔に笑顔を貼りつかせたままプレラーティは首を振る。

「残念ですが、今夜お連れしたのは私の同僚と上司です。
彼らの騎士殿に対する興味はあくまでも学術的な意味での──」

そのまま今宵も想い人との言葉遊びを楽しもうと、もったいぶった口調で語る狂気の神父を押し退けると、二人の間に小柄な影が身を乗り出した。

「へえ~、フランス最高の騎士様がこんな美人な女のヒトだったとは驚きだなあ……」
「馬鹿。いくらフランス王がトチ狂っていても女を元帥にするはずがないだろ。
だいたい、そこの偏執狂が女に執着すると思うか」

すかさず、突っ込んでくるお目付け役と思われる青年の声に、

「あ、そうか。
フランソワーズは女の子が大嫌いだもんね!」

納得!と一人大きく頷いた後、プレラーティ以上に幼い魔導の徒である少年は、鉄格子の前に張り付きながら、無邪気な笑顔で空恐ろしい一言を付け加える。

「ま、僕だったら、どうせ可愛がるんだったら『おいた』出来ないように、完全に女の子にしちゃうけどね。
どうせ、『そういう使い方』をするんでしょ?
それとも何?
ローマの研究室で適当な女の子と番わせて、ダンピールでも『繁殖』させるの?
確かにこれだけ綺麗な相手だったら、実験に協力してくれる女の子が殺到しそうだけどね」

さらりと倫理的に明らかに問題がある発言をする若い……というよりまだ幼い同僚に、話の腰を折られたプレラーティが笑顔の下に、隠し切れない不機嫌さを滲ませながら指摘する。

「おや、〈三賢者〉はメルキオールの名を冠するマウンセル卿ともあろうお方が、不可解な事をおっしゃいますね。
一定等級以上の吸血鬼を相手に生半可な去勢処置を施したところで、すぐに欠損箇所を再生復元してしまいますよ。
だからこそ、こうして私は精神的な側面からの『矯正処置』をずっと彼に施し続けているのですから」

そこで言葉を切ると、鉄格子を潜り、牢の中に入ったプレラーティは虜囚の騎士の前で膝を折る。

「そういえば、まだお知らせしていませんでしたね。
何故、ロレーヌ生まれの小娘ならいざ知らず、貴方ほどの大貴族が虜囚となりながら、誰も救出の手を差し伸べないのか……
フランスの国庫を容易に上回る資産を持つ貴方の一族が、主人が帰還しない事に疑問の声一つあげないのか……
それは他でもない。貴方の大切な陛下、シャルル・ド・ヴァロワがそう望んでいるからです」

一つ、また一つ。
言葉を発する度に、ゲーム盤の駒を進める度に、沸き立つ勝負を詰める実感が、プレラーティの内で愉悦を膨らませ、興奮が神父をいっそう饒舌にさせる。

「ええ。貴方の全てを奪う事を望んだのは、貴方が必死に守ろうとしたあの男なんですよ」
「………………」
「そうでしょう、そうでしょう。
言葉もありまえんよね?信じられませんよね?
陛下はね、ずっと貴方の事が嫌いだったそうですよ。
全てに恵まれた貴方が憎くて憎くてたまらなかった。無力な自分の前で、白々しく忠誠を誓い、膝を折る貴方がどれだけ彼の自尊心を傷つけてきたか、貴方自身は想像も出来ないでしょうね」

無言のまま顔を伏せる青年の様子に、以前かの王と接触した時の事を思い起こし、プレラーティの唇がより見事な弧を描く。

彼が愛する少女と命がけで玉座へと導いた王は、事が済むとあっさりと彼等を見捨てた。
王に取り入るのは簡単だった。
元々猜疑心の塊のようだったその男は、こちらがほんの少しつついてやっただけで、内に抱えていた闇を噴出させた。

奇跡の少女が現れるより以前から、王はこの完璧過ぎる騎士を疎ましく思っていた。

その偽りの無い忠誠を、揺るぎの無い信念を、曇りの無い美貌を。
青年が気負う事無く持ち合わせる全てが気に入らず、鷹揚な振る舞いの中に、激しい嫉妬を隠してきたのだ。
それが二人の間に少女の存在を間に挟む事で、ついに爆発した。

──また厚顔にも私の愛する者を奪っていくというならば、貴様の全てを奪ってやろう。

自らの第一の騎士がプレラーティの手によって捕縛されたと知らされた時。昼夜を問わずイングランド兵達の憎しみを一身に受けて嬲り者にされていると伝えられた時。とうとう憎らしかった騎士をかつての自分以上に惨めな敗残者へと陥れた王の姿は、暗い優越感に満ち満ちて、それこそランスで戴冠した時以上の歓喜に溢れていた。

もう、彼には何も残されていない。
だってここにいるのは、地位も名誉も、己の名前すら奪われ、死すら許されないまま、明けぬ夜の中を孤独に過ごす、身寄りのない青年に過ぎないのだから。

「救国の聖女をかどわかして貶めた化物には相応の罰を。陛下はそうおっしゃいました。
まあ、実際のところ貴方自身には何の落ち度も責任もないのですが。お互いに不幸としか言いようがないですね」
「ふーん、この『監禁調教』は多分に君の趣味が入っている気がするけどなぁ……」

脇から呟く少年魔術師──〈神の御剣〉でも屈指の実力を持ち〈黄金の賢者〉の称号を受けたクラウディオ・マウンセルを横目で睨み付けながら、プレラーティは言葉を続ける。

「ああ、ついでにもう一つ。
お知らせしておかなければいけない事がありました」

魔術師が懐から何かを取り出すと、青年の目の前で掲げる。

「これが何だか分かります?
あの聖女を嘯いていた小娘がずっとその身に着けていたロザリオです──そう、処刑されるその瞬間までね」

ところどころ変色した十字架が揺れる度、松明の灯を反射して、青年の白い顔の上に光が散る。

──さあ、絶望しろ。
──さあ、壊れてしまえ。

しかし、穏やかな口調の裏に、魔術師の高笑いが聞こえてきそうな一言が発せられてなお、青年の表情は変わらない。
人形めいた静謐さを保ったまま、無言を貫く青年と、一人喋り続けるプレラーティの対比を〈神の御剣〉の面々が見守る中、獲物の心に爪をかけ、これを掴み取ろうと魔術師は畳み掛ける。

「もう貴方には時間の感覚もないでしょうが……10日前、我々の立ち合いの下、ピエール・コーション司教の裁決によって〈乙女〉ジャンヌの火刑が執行されました」
「………………」
「数多の罵倒に傷つき、辱めながらも、潔くヴィエ・マルシェの広場に立った彼女の姿は、私の目から見てもそれは美しかったですよ。
是非貴方にも見て頂きたかった、聴いて頂きたかった。
炎に包まれる彼女を。彼女の最後の祈りを。
もっとも、貴方はその頃、イングランドの変態貴族の相手でそれどころじゃなかったでしょうけどね」
「………………」
「彼女は最後の最後まで主の名を唱えながら、天に召されましたよ。
その尊い姿に乙女を刑場に引き立てたイングランド兵すら涙を流したとか──ああ、でもね……」

ここで神父の姿をした悪魔──プレラーティは虜囚の騎士の胸倉を掴み上げると、互いの額が重なり合いそうな距離で、とどめの一言を吐き捨てた。

「私は──私だけは彼女の本当に最期の言葉を確かに聞き取ったんですよ。
咳き込みながら、必死にイエスの名を唱えていた彼女が、今際の際に遺した『誰かさん』の名をね」
「…………ッ」
「あの時、私の目と耳は、彼女の唇がそう動くのをはっきりと捉えた──『ジル』とね。
そう、彼女が最期に救いを求めたのは、天にまします我らの父ではなく貴方だった……!」

乱暴に掴んだ胸倉を揺さぶりながら、神父は吼えた。

「どんな気分です?
大切な乙女の最後を看取る事も出来ず、敵将に組み敷かれて無様に腰を振っていた、情けない自分を思い知った気分は。
是非教えて頂きたいですね。
乙女が恋い焦がれたフランスの英雄、ブルターニュ公国陸軍中将にして王国元帥たるジル・ド・レイ卿閣下。
──ああ、今は誰彼構わず足を開く場末の男娼のジルさんでしたっけ?」

相手の羞恥と怒りを煽るように、プレラーティはまくし立てる。

「忠誠を誓った主君に見捨てられ、愛した娘の命も炎に消えた。
もう本当に貴方には何も残っていない。
貴方が今まで積み重ねてきた全てが無と消えたんですよ」
「………………」
「もう言葉を発する事も出来ないほど狂われてしまいましたか?」
「………………」

青年──ジルは終始無言を貫いたまま。もはやプレラーティの声が聞こえているのかも分からない。

「もう、そのくらいにしておけ〈魔導王〉。悪趣味だ」
「そうだよー、美人さんは君みたいのばっかり相手にしてるから疲れちゃったんだよ。可哀想」
「……従順にさせるのは結構な事だが、毎度ながらお前の〈審問〉は度が過ぎる。
貴重な〈被験者〉をみすみす使い物に出来なくしては責任問題になるぞ」

とうとう三者三様に自らを非難し始めた魔術師達の様子に、プレラーティが舌打ちすると、小さな笑い声が耳元で響いた。

「……おや、何がおかしいんですか」
「は、随分と仲間から嫌われているんだな。
そうして傍若無人に振る舞ってばかりいると、いつか後ろから刺されるぞ」
「それはそれは……忠告痛み入りますね。
……てめぇ、自分の立場が分かって言ってるのかよ」

弄んでいたはずの相手から逆に手玉に取られていた事を知り、にわかにプレラーティの狂暴な本性が現れる。

「すかしてんじゃねえぞこの淫売野郎……!
騎士としても役立たず、男としても役立たずのくせに、説教垂れるなんざ良い性格してるじゃねえか!!」
「その淫売野郎相手にいつも足腰が立たなくなるほど楽しませてもらっているのは誰だ。え?この『童貞野郎』が」
「………………!」

青年の口から出たまさかの言葉に、プレラーティの顔色が変わった。

「……だいたい、お前の抱き方は一本調子でつまらないんだよ。意外ともたないしな。
ギリシアの哲学者を気取って女の事を馬鹿にしているが、そもそもお前、女を知らないだろ。
何がソロモン王だ。笑わせる。
女を抱く度胸も無い小僧が。高尚な事を言って現実から逃げている暇があったら、まっとうな娼館で学習してこい。下手糞」
「な……な……」
「へー、フランソワーズって下手糞なんだ。
僕が前に聞いた武勇伝は嘘だったのかなぁ」

呑気なクラウディオの呟きに、残る二人の特権退魔師が思わず吹き出す。

「ついでにもったいぶって教えてくれたジャンヌの処刑の件だが。
とっくに知ってたよ。当日の晩にこっそり牢を訪れたイングランド兵が見てきた全てをそれは得意げに教えてくれた。
最中、ずっと泣き続けたさ。涙がもはや枯れ果てるほどにな。相手は私が善がって泣いていたと勘違いしていたみたいだが。
下っ端までは手が回らなかったと見える。情報統制が甘かったな」
「………………」
「お前がいくら私を籠絡しようとしたところでもう無駄だ。
お前自身が言った通り、もはや私にはこの意志と身体以外何も残っていない。
逆に言えば何のしらがみもないのだよ。
陛下が私を騎士として罷免したというのならば、喜んでその命に従おうではないか。
これで私は本当に自由だ。
ジャンヌを愛する者としての命を全う出来る」
「……何と」

朗々と響く威厳すら感じさせる青年の弁舌に、見守る魔術師達の唇から感嘆の声が漏れた。

「……凄い……アイツの玩具にされてまだ正気を保っているなんて……」
「あー、これは女の子だったらマジ惚れちゃうな。僕もちょっとグラッときたかも」

一日閉じ込められるだけで精神失調を起こしそうな闇の中で。
未だ苛烈な闘志をその瞳に閃かせ、魔術師を真っ直ぐに見据えるこの青年は一体何者なのだろう。
魔術師達の虜囚の貴人を見る目は、それまでと明らかに違っていた。

「さあ、いい加減殺しておけ。
私を生かしていればいるだけ、お前の寿命は縮まるぞ」
「ほざけ淫乱。男を銜えるしか能がないテメェにそんな力があるかよ」
「今は、な。
だがこの地下牢……いや、ルーアンの街は無念と怨嗟の魂に満ち満ちている。
そんな魂達を纏わりつかせながら、夜毎、欲望と精力を持て余している人間が、知らず私にその命を捧げていく。
分かるか?こうしている間も、私の抱える地獄は膨れ上がっているのだと。
いずれ、その地獄はお前を呑みこみ尽くすぞ」
「………………」

プレラーティの背中を、嫌な汗が流れ落ちる。
ここ数日の間、自らがあずかり知らぬ時に、何が青年の中で変わったのか。
否、それはもっと前から少しずつ進行していたのかもしれない。
だが、あの少女の死が、何か決定的なきっかけを作ってしまった気がしていた。

「……謳ってろよ騎士崩れの雌犬が」

ぎり、と。歯列をきしませ。
それでも何とか気を持ちなおした後、プレラーティは青年を牢の奥へと突き飛ばす。

「調子に乗りやがって。
二度と娑婆で名乗れないような赤っ恥を背負合わせてこの世から葬ってやるよ……!」
「……ふん。今更恥じらうものもあるものか。やれるものならやってみろ」
「くそっ……!」
「……少し頭を冷やしてこい、プレラーティ。
我々は彼と少し話があるのでね」
「…………ッ!」

これ以上、騎士と相対していても、不利になるのは己だと自身でも理解したのだろう。
一見、優しげな作りをしている端正な顔を、悔しさで凶悪なまでに歪めつつ、プレラーティは踵を返し、地下牢を去っていった。

 

■■■

 

 

「見るがいい。そして誇るがいい。
あれが、君が愛し、また愛された騎士の姿だ」

隣接した亜空間から人知れず一連のやり取りを見守っていた少女──ジャンヌの目元に光るものがあった。

「ジル……」
「強いな、彼は。
悔しいが、現象界に留めておくのが惜しいぐらいにいい男だ。私も認めざるを得ない」
「はい」
「これで彼を信じる心を取り戻せたかな」
「ええ……」

彼は自分が想像していたよりも遥かに強かった。
もう仮に自分が選ばれなくても構わない。
そんな彼に愛されていたという事実だけで、充分ではないか。
ただ、彼が幸せになってくれる場面をこの目に焼き付けるまで見守ろう……

「私は……ジルを信じます」

彼に真の安息の日が訪れ、心から笑える時を祈り、待ち続けよう。

それから。
誓いを新たに彼女は彼に寄り添い続けた。
彼が悲しむ日も、喜ぶ日も、人知れずそれを分かち合った。
来る日も、来る日も。ただ、信じて。信じて。
そして───

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